藤沢周平の世界

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■映画『山桜』への思い - 遠藤展子(藤沢周平 長女)

  「山桜」の映画化のお話を頂いたのは、二00六年二月のことでした。あれから二年近くの歳月が過ぎ、皆様にご覧いただけることとなりました。
  映画『山桜』をはじめて拝見させて頂き、最初に私の口をついて出た言葉は「ありがとうございました」でした。私には心からそう言わずにはいられない理由があったのです。
   私の父は自身の作品の映像化には積極的ではありませんでした。生前、父が映画化を許したのは長篇「蝉しぐれ」の一作だけでした。父の没後、映像化に関して、私達家族は父の作品を本当に大切にして下さる方にしか原作の提供は出来ないと考えていました。

  しかし短篇小説一作品で原作に忠実な映画を創って頂くことは、実際にはとても難しいと、私達家族は感じていました。しかも、「山桜」は約二十ページの短篇です。  映画にするには短い作品です。  
   映画化に際してプロデューサーの小滝氏は「原作が一番大事です。そうでなくては、原作のあるものを映画化する意味がない」と言って下さいました。  
   小滝氏の言葉を信じて、決定稿まで数回の脚本のやり取りが続きました。小滝氏や篠原監督、脚本の長谷川氏、飯田氏は私達の意見を最後まで真摯に受け止めて下さいました。その間にも、大変なご苦労があったと思います。
この頃には「これは本当に良いものになるのでは」と感じ始めている自分がいました。
   実際に出来あがった映画は、まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚える映画でした。本のページをめくるように父の原作の映画を観たのは初めての経験でした。

  野江役の田中麗奈さんの美しさ、東山紀之さんが演じる手塚弥一郎のきりっとした殺陣の素晴らしさに目を奪われました。余計な説明は一切無く、全て俳優さん達の演技力で見せてくれる。それぞれの配役がまるで本当に江戸時代に生きている人々を見ているようで、その見事な演技は心に沁みるものでした。私の目には大粒の涙が溢れていました。
父の小説は日ごろ「無駄のない文章」と言われていますが、その行間にあるものを、篠原監督は見事に映像として表現して下さいました。桜の花びらが舞うシーン一つとっても、映像と原作が一体化し、さらに篠原監督の世界が、見る人を幸せな気持ちにさせてくれる。そして暖かく包んでくれる、そんな風に感じながら拝見させていただきました。その気持ちを伝えると、
「遠藤さん、だって原作通りですから。」
と小滝氏は笑って答えてくださいました。しかし私は、それを実現することが一番難しくどれだけ大変か感じていましたので、父の原作を本当に大切にして頂いたと感謝の気持でいっぱいになりました。最初の約束を最後まで守って下さった小滝氏、そしてこの映画に関わって下さった全ての人に頭が下がる思いでした。

  小説「山桜」の一節にこんな文章があります。
「とり返しのつかない回り道をしたことが、はっきりわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜもっと早く気づなかったのだろう」
   映画『山桜』はくるべき家にたどり着いたのだ、そう感じずにはいられませんでした。


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